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東京高等裁判所 昭和51年(行ケ)34号 判決 1982年5月26日

原告

ロレアル

被告

特許庁長官

右当事者間の審決取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

特許庁が昭和45年審判第7234号事件について昭和50年10月17日にした審決を取消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第1当事者の求める裁判

原告は、主文と同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第2当事者の主張

(原告)

請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、名称を「染色組成物」とする発明(以下「本願発明」という。)につき、1965年7月30日、1966年1月27日及び1966年7月4日ルクセンブルグ国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和41年7月30日特許出願したところ、昭和45年4月16日拒絶査定を受けたので、同年8月11日審判を請求した。この請求は昭和45年審判第7234号事件として審理されたが、昭和50年10月17日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年11月29日に原告に送達された。なお、出訴のための附加期間を3か月と定められた。

2  本願発明の要旨

一般式〔ただし、式中、Rは水素または低級アルキル基‥R'およびR"は水素、低級アルキル、または低級ヒドロキシアルキル‥R'"は式(式中のnは2~6の整数を表わし、R1およびR2は同一または相異なる低級アルキル基、水素または低級ヒドロキシアルキル基から選ばれるか、窒素原子と一諸に複素環を形成し、Nが第3級のときは4級化されていてもよい。)で表わされる基を表わすが、ただし、ニトロ基がR'"を付着したアミノ基に関してメタ位にあるときは、該ニトロ基に対しオルト位にあるアミノ基は第3級ではなく、R'およびR"は同時に水素を表わさず、またニトロ基がR'"を付着したアミノ基に関してメタ位にあり、nが2、R'が水素、R"がメチル、Rが水素またはメチル基である場合にはR1とR2とは共に低級アルキル基を表わさないものとする。〕

を有する染料の少なくとも一種を含有する水溶液から成ることを特徴とする毛髪用染色組成物。

3  審決の理由の要点

本願発明の要旨を前項記載のとおりに認定し、

「前認定の本願発明の要旨からして、本願発明が毛髪染料として、1-N-メチルアミノ2-ニトロ4-N'-(r-ジエチルアミノ)プロピルアミノベンゼン(以下、「化合物―」という。)を使用するものであることは明らかである。」

と認めた後、

「これに対して、原査定の拒絶理由に引用され、本願の優先権主張の基礎をなす、前記第1国出願前日本国内において頒布されたことが明らかな、ベルギー国特許第621355号明細書(以下、「引用例」という。)には、1-N-メチルアミノ2-ニトロ4-N-(β-ジエチルアミノ)エチルアミノベンゼン(以下、「化合物Ⅱ」という。)と一般式(Xは、ハロゲンを、n'は、大きな整数を、それぞれ表わす。)の高分子化合物とを反応させ、得られた化合物を染毛用組成物の主成分として用いることが記載されている。

本願発明と引用例とを対比すると、両者は、染毛を目的とする点において一致するが、本願発明は、前記の化合物Ⅰを染毛組成物の主成分として使用するのに対し、引用例は、前記の化合物Ⅱと前記一般式の高分子化合物との反応生成物を染毛組成物の主成分として使用する点、及び、ベンゼン核上の置換基におけるnが、本願発明の前記化合物Ⅰでは3であるのに対し、引用例の前記化合物Ⅱでは、2である点で両者は相違するものと認められる。

そこで、上記相違点について検討すると、まず、化合物Ⅱは、染毛剤の主成分として広く使用されるフエニレンジアミン系化合物であり、また、引用例第3頁第4行の「塩基性染料」なる記載、及び、同頁第5~8行の「染料を高分子化合物としても、染料のもつ色は、そのまま残る。」旨の記載は、化合物Ⅱの性質、作用効果を示したものと認められるので、これらの事実を併せ考えると、化合物Ⅱは、それ自体でも染毛剤として使用できるものと解するのが相当である。次に、化合物Ⅰと、化合物Ⅱとを比較すると、両者は、ジエチルアミノ基の結合する炭化水素鎖のメチレン基の数が1つ相違するにすぎず、化学構造上近似の関係にある。そして、両者はともにフエニレンジアミン系染料であり、しかも化合物Ⅱは、前記のとおり、それ自体でも染毛剤として使用できるものと認められるので、化合物Ⅰに染毛剤としての効果を期待することは、容易といわざるを得ない。

したがつて、本願発明は、引用例に開示された技術から、当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。」

と結論した。

4  審決の取消事由

審決は、引用例に記載されている技術的事項の認定及び本願発明の進歩性についての判断を誤り、本願発明が引用例に開示された技術から容易に発明をすることができたものであるという誤つた判断をしたのであるから、違法である。以下に詳述する。

1 フエニレンジアミン系化合物について

審決は、本願発明と引用例のものとの対比判断において、「化合物Ⅱは、染毛剤の主成分として広く使用されるフエニレンジアミン系化合物である」としている。

化合物Ⅱがフエニレンジアミン系化合物であることは審決のいうとおりである。

しかしながら、このフエニレンジアミン系化合物が染毛剤の主成分として広く使用されているというのは誤りである。被告が指摘する乙第1号証ないし第3号証には、確かに、フエニレンジアミン系化合物の特定のものが染毛剤の主成分として使用できる例があることを示しているが、それらは染毛剤として要求される諸要件を満すことを確認した上で用いられているのであるから、これをもつて、フエニレンジアミン系化合物が染毛剤の主成分として広く使用されていると直ちに断定することはできない。

更に、古くから使用されているパラフエニレンジアミン(乙第5号証の1ないし3)は、毒性が強いという問題があつたのであるから、この点からも、フエニレンジアミン系化合物が染毛剤の主成分として広く使用されていたとすることはできないのである。

2 引用例の記載内容について

審決は、引用例第3頁第4行の「塩基性染料」なる記載及び同頁第5行~第8行の「染料を高分子化合物としても、染料のもつ色は、そのまま残る。」旨の記載は、化合物Ⅱの性質、作用効果を示したものと認められる、としている。

しかしながら、引用例の第3頁第5行~第8行の文章は、塩基性染料と重合体を化学的に結合した結合重合体が塩基性染料の色をそのまま維持しているというに過ぎず、したがつて、重合体と結合させずに染料のみを使用した場合の色調は何ら示していないのであるから、審決の右認定は誤りである。

3 化合物Ⅱについて

審決は、「化合物Ⅱは、それ自体でも染毛剤として使用できるものと解するのが相当である。」としている。

しかしながら、塩基性染料が一般的染料の一種であり、その中の或る種のものが染毛剤として使用される例があるとしても、染毛剤としての条件を備えていることを確めなければ、染毛剤として使用できるとはいえない。

その上、引用例の記載から予測できるところは、染料自身の色のみであり、それを単独で使用した場合の色調は不明であるから、単独で染毛剤として使用できるとは予測できないことである。

4 化合物Ⅰの着想について

審決は、「化合物Ⅱは、…それ自体でも染毛剤ときて使用できるものと認められるので、化合物Ⅰに染毛剤としての効果を期待することは、容易といわざるを得ない。」としている。

しかしながら、引用例には、化合物Ⅱが染毛剤として必要な性質を十分に備えているものであることを示唆する記載は存しないのであるから、その示唆を前提として、共にフエニレンジアミン系化合物であり、炭化水素鎖のメチレン基の数が1つ相違するにすぎない化合物Ⅰについても染毛剤としての効果が期待できるとするのは誤りである。

(被告)

請求の原因の認否と主張

1  請求の原因1ないし3の事実は認める。

2  同4の主張は争う。

1 その1の主張について

化粧品製造業界において、本願発明の出願(優先権主張の基礎をなすルクセンブルグ国における出願)前、合成染毛剤の大方がフエニレンジアミン系染毛剤で占められていたことは当業者にとつて常識事項であつた。すなわち、

「バラフエニレンジアミン 現在合成染毛剤の中で最も広く使われているのはバラフエニレンジアミンであり、毛髪を黒色に染色できる。この色調を変えるためには、…その他の類似の有機化合物およびその誘導体が使用されている。」(乙第5号証の2、第110頁第18行~第21行)

「頭髪の染色に対しては、1個の芳香族及び1個または数個のアミノ基あるいは水酸基を含有するところのニトロ染料を使用することが既に大分以前から周知であつた。ニトロフエニレンジアミンをもまたその内の1つとする。このような種類の染料は…水に比較的難溶性であるという欠点を持つているから、所望の色濃度に到達するのに必要な濃度をうることがしばしばできない。したがつて、1個…または複数個のアミノ基もしくは少くとも1個の水酸基を1つのアルコール基の形で含有するような基のいずれかの置換によりこれらの染料を改善することも…既に提案された。…これらの染料を用いて得られた結果はいつも満足すべきものとは限らず特に…頭髪を染めなければならぬ場合にはしかりであるが、これはしばしば青色または紫色の色調が得られるからである。」(乙第1号証第1頁左欄第1行~第15行。)

「…業者がケラチン様物質染色剤として記してあるフエニレンジアミン類…誘導体が知られている。本発明に於て用いられるフエニレンジアミン類…誘導体は、頭髪を染色するために従来の業者により記されたフエニレンジアミン類…誘導体(…過酸化物添加剤は用いる場合も用いない場合もある)よりも…有利な特性を有している。」

(乙第2号証第2頁右欄第23行~第29行。)

「動物性繊維の染色には、芳香族核に1またはそれ以上の置換または非置換アミノ基、及びまたはいくつかのニトロ基をもつ形からなる数多くの染料がすでに使用された。活きている毛髪の染色において満たされるべき条件、その主体(人)、最少毒性および白髪または標白した毛髪に対する有効な適用に耐えうる温度で染色することを含む条件は、使用しうる染料の数を著しく制限する。

これに関し、ニトロ基に関しメタ位にあるアミノ基がモノまたはポリヒドロキシアルキル基によりモノ置換されたニトロ-P-フエニレンジアミンのようなニトロ芳香族ジアミンの使用についてはすでに記述提案されている。」(乙第3号証第1頁左欄第13行~第29行。)

との記載が存するのであつて、これらの記載は、化合物ⅠⅡの包含されるフエニレンジアミン系化合物が染毛剤として使用されていたことを充分示唆するものと考えられる。

2 その2の主張について

審決は、原告の主張するように、着色重合体単独の性質から塩基性染料化合物Ⅱの毛髪に対する性質、効果を示したものではなく、引用例と中の化合物Ⅱに関する事項及び着色重合体に関する事項より、化合物Ⅱの性質、効果は推理できるとしているのである。

ところで、塩基性染料は、毛髪自体が強い親和性を塩基性染料に対してもつケラチン蛋白からなることからみて、毛髪に対する染毛作用を有することが明らかである。そして、塩基性染料は、染毛剤として使用する上で他の染料にはない優れた性質と作用があるのである。

次に、引用例における「染料を高分子化合物としても染料のもつ色はそのまま残る」との記載は、引用例中の化合物Ⅱ(染料)に関する色についての記載、すなわち、化合物Ⅱの性質についての記載である。

当然のことながら、数多い染料の中には、染毛の目的に使用できる色と使用できない色とがある(乙第1号証第1頁左欄第11行~第15行)。

引用例の右の記載によれば、化合物Ⅱの色は、引用例の染毛組成物の主成分、すなわち、着色高分子化合物の色と同一ということであり、それ故、化合物Ⅱは染毛の目的に使用できる色であることが示されているということができるのであつて、その記載が化合物Ⅱの性質を充分示唆していることは明らかである。

このように、引用例における「塩基性染料」及び「染料を高分子化合物としても染料のもつ色はそのまま残る」との記載は、化合物Ⅱの性質、作用、更にはこれらにより生じる効果を示していることが明らかであるから、原告の主張は理由がない。

3  その3の主張について

特許庁における、染毛剤の特許出願の審査、審判実務においては、その化合物を染毛剤として使用した際、特に明瞭に或る程度以上毒性のある疑いが技術的に類推された場合にもたれる物質であればそれについて検討するが、そのような物質でなければ、毒性について右以上の検討は行わず、主としてその化合物がもつ毛髪等に対する染着力の面より検討を行ない、それをもつてその化合物が染毛剤として使用できる特許性があるとしている。

これを本件における化合物Ⅱについてみると、その化学構造と性質からすれば、染毛剤として使用する際、特に明瞭にある程度以上の毒性のある疑いがもたれるものと考えられないフエニレンジアミン系塩基性染料であるから、審決が、この程度以上毒性を検討せず、これを染毛剤として使用できるとしたことは正当に措置というべきである。

なお、前記特許庁の実務は、殆どの染毛剤原料物質の毒性のないことを示す試験には、長期の時間、多額の費用を要し、その旨のデータを出願人に要求することは出願人に酷であり、特許庁においても一審査官が何十何百の化合物の毒性を1年間に調査することになり実務上不可能であることによるものである。

また、引用例の染毛剤のうち染毛に寄与するのは化合物Ⅱの部分であるから、化合物Ⅱが染毛剤として使用できることは当然に予測できることである。

4  その4の主張について

既述のとおり、化合物Ⅱ自体に染毛剤としての性質、作用、効果があることは、引用例の記載から予測できることである。

このような性質、効果を有する化合物Ⅱに、一般式におけるnが2と3との相違をもち、化学構造上近似の関係にある化合物1は、化合物Ⅱと同様の性質、効果を有すると予測することは当業者が容易にできることであるから、審決の判断に誤りはない。

第3証拠関係

原告は、甲第1号証ないし第6号証、第7号証の1ないし3を提出し、乙号各証の成立を認めた。

被告は、乙第1号証ないし第3号証、第4号証及び第5号証の各1ないし3を提出し、甲号各証の成立を認めた。

理由

1  請求の原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

2  そこで、原告の主張する審決取消事由の存否について検討する。

1 フエニレンジアミン系化合物について

原告は、審決が、フエニレンジアミン系化合物が染毛剤の主成分として広く使用されていると認定しているのは誤りである、と主張する。

よつて検討するに、成立に争いのない乙第5号証の1ないし3によれば、昭和35年2月10日改訂第4版発行にかかる「化粧品学」第110頁~第111頁には、合成染毛剤の例としてパラフエニレンジアミンとパラトリレンジアミンが記載されており、パラフエニレンジアミンについては、「現在合成染毛剤の中で最も広く使われているのはパラフエニレンジアミンであり、毛髪を黒色に染毛できる。この色調を変えるためには、パラトリレンジアミンその他類似の有機化合物及びその誘導体が使用されている。」「パラフエニレンジアミンはすぐれた黒色染毛剤であるが、毒性が強い欠点がある。」との記載があり、

成立に争いのない乙第1号証によれば、特公昭35―11949号公報には、その特許請求の範囲に記載の一般式で表わされたニトロ-パラ-フエニレンジアミンの誘導体を含有することを特徴とする染毛剤が記載されており、この染毛剤が奏する効果は、従来のニトロフエニレンジアミン系染料の有する欠点、すなわち、水に比較的難溶性、不適当な色調(例えば青又は紫色)を改善した点にある旨の記載があり、

成立に争いのない乙第2号証によれば、特公昭39―21059号公報には、その特許請求の範囲に記載の一般式をもつパラ-フエニレンジアミン誘導体とアルカリ化剤との水溶液からなる頭髪染色用組成物が記載されており、この誘導体は、フエニレンジアミン類のニトロ誘導体として従来知られていた染毛剤より髪に対する親和力、毛幹への浸潤がよく、髪が濃く均一に染まる、良好な摩擦堅牢性、洗濯堅牢性があり、光沢があり、頭皮が染まらず、広いpH範囲にわたつて安定性がよく、染料吸着性がよい等の利点がある旨の記載があり、

成立に争いのない乙第3号証によれば、英国特許第812211号明細書には、人間の毛髪の温和な温度における染色に適する安定なニトロフエニレンジアミン化合物を提供するための新規な化合物が記載されている、ことが認められるから、これらの記載によれば、染毛剤の主成分としてフエニレンジアミン系のいくつかの化合物が使われていることは明らかである。

原告は、乙第1号証ないし第3号証は、フエニレンジアミン系化合物のうち、引用例の化合物とは異なる特定の化合物を例示しているに過ぎず、乙第5号証の1ないし3のパラフエニレンジアミンは毒性を有するから、フエニレンジアミン系化合物であれば染毛剤として使用できるとはいえない旨主張するが、右各乙号証に記載の染毛剤の主成分がそれぞれ特定の化合物に限定されているとはいつても、それらの化合物がいずれもフエニレンジアミン系の化合物であることは明らかであり、たとえパラフエニレンジアミンに毒性があることが知られていても、乙第5号証の1ないし3の記載は、その毒性のために染毛剤として使用できないことを示している訳ではないから、原告の右主張は採用することができない。

2 取消事由2ないし4の主張について

原告は、審決が、引用例の記載をもとに、化合物Ⅱはそれ自体でも染毛剤として使用できるものであるとし、それを根拠に、化合物Ⅰに染毛剤としての効果を期待することは容易にできることとしているのは誤りである、と主張する。

よつて検討するに、前掲乙第2号証(その第2頁右欄中段以下の記載)によれば、染毛剤として必要とされる性質は、単にその色調のみに限らず、髪に対する親和力、毛幹への浸潤、毛髪が濃く均一に染まること、良好な摩擦堅牢性、洗髪に対する堅牢性、髪の光沢、頭皮に染着しないこと、広いpH範囲で安定なこと、染料吸着性が良好なこと等の諸条件が必要であることが認められ、また、成立に争いのない甲第7号証の2(その第252頁下から3行目~第253頁第1行の記載)によれば、皮膚に対する刺激、毒性がなく、着色操作が容易で短時間に処理できるような性質も必要であることが認められる。

これに対し、引用例の記載は、化合物Ⅱを水溶性重合体に結合させて得られた毛髪被覆用着色物質と溶剤よりなる一時的(洗髪により着色物質が完全に除去されることを意味する。)に毛髪を着色するための染毛剤を示したもので、化合物Ⅱの性質については、化合物Ⅱが重合体と結合しても遊離の化合物のときと同じ色調を有していることを記載しているにすぎない。

被告は、化合物Ⅱがフエニレンジアミン系の化合物であることを根拠に、化合物Ⅱが一時的ではない染毛剤として使用できることが予測しうる旨主張するけれども、染毛剤として使用できるためには、前記のような諸条件を具えていることが必要とされるのである。ところが、引用例に示されているところは、化合物Ⅱが重合体と結合されても染毛に適した色調を有しているというにとどまり、引用例でいうところの初期染色についての記載(成立に争いのない甲第6号証、訳文第2頁第6行~第10行)も、従来、一時的染色剤の染料として使用されていた化合物が重合体中に溶液又は分散液の状態(化学的な結合はしていない状態)で存在している場合には、毛髪自体に初期染色を起すことがあつたという事実を述べているにとどまるものであつて、化合物Ⅱが前記初期染色を起す性質を有していることを示しているとは解されないし、更に、化合物Ⅱが毛髪に染着した場合に、目的とする色調を呈するか否かも示されていない。まして、本願発明の明細書に本願発明の効果として記載されているような(成立に争いのない甲第2号証第3頁下から7行目~第5頁下から3行目)、温度が低くても毛髪に染着すること、毛髪に染着したときに濃い色を呈すること、少量でも染色剤溶液として使用できること、洗髪に対する堅牢性、広い範囲のpHで使用できること、染毛剤溶液と毛髪との接触時間が広い範囲で変えられること、他の染毛剤と混合使用できること等については何も示されていない。

被告の主張は、当業者であればこれらの効果が容易に予測可能であることを前提とするものであるが、以上のような効果は実際にそれを使用することによつて初めて認識できることであるから、採用することができない。

そうすれば、本願発明は引用例に開示された技術からは当業者といえども容易に発明をすることができなかつたものというべきであるから、これを肯定した審決の判断は誤りであり、審決は取消を免れない。

3  よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条及び民事訴訟法第89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(石澤健 藤井俊彦 岩垂正起)

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